ごん太の旅日記

岐阜県 海津町にて

平成16年8月14日(土)

 江戸時代のことです。海津町が高須松平藩(30万石)だった頃、土地が海面よりも低く、水害とたたかっていました。たとえば、家を建てるときには石垣を高く積みその上に建てたり、田んぼを作るのにも「ほり田」といって、田の一部を掘って土を積み上げ、そこにお米を作ったりしたのです。
 そんな時、幕府は鹿児島の薩摩藩に治水工事を命じたのです。命を受けた薩摩藩は平田家老をはじめ多くの薩摩義士を海津町に送り、治水工事を完成させたのです。
 なんて、「海津町歴史民俗資料館」で聞いてきた事を、車に待たせていたごん太君に説明するのです。(本当はもっと多くのことを聞いて来たのに・・・)
とにかく、海津町の人たちは、今も鹿児島の人たちに感謝の気持ちを受け継いでいるそうです。
 ご主人さまは、最近、鹿児島県人になったのだから、海津町の人たちに感謝の気持ちを持ちなさい。250年も恩義を語り継いでいてくださるのだから。
ごん太君は車で待たされていて、のどが「砂漠」になっているのです。早く水を飲ませてくださいな。



海津町歴史民俗資料館


ほり田

石垣の家の前にてごん太たち

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